不登校になった理由の根底には、ほとんどどの人が「学校が嫌だった」というものがあるかと思います。
もちろん例外があることは承知していますが、私の場合は例にもれず学校が本当に嫌でした。
とは言っても、本当に嫌だったのは中学生の頃です。
不登校になったのは高校に入学してすぐでしたが、多分その要因の多くを中学校から引きずってきて、そして高校生になってしまったのかと思います。
学校が嫌だった理由
どうして学校が嫌だったのか。
今思えばいろんな理由がありすぎて限定はできません。
ただ、私はどうにもクラスから浮きがちで、もちろん私だけではありませんが、どうにも槍玉にあげられやすいタイプでしたね。
別にそれがどうこうというわけでは無くて、私の知らない所で私が勝手に何かしただのどうしただのという話が湧いてくるわけですよ。
特に中学と言えば、誰が誰を好きだの嫌いだのといった話が横行しますが、それに巻き込まれるのも恒例行事という感じでした。
非常に面倒臭い。
そんなことをしている暇も、それについての興味も全くありませんでしたから余計に話について行けないんですよ。
どうでも良いというのが素直な感想でしたね。
さらに言えば担任の先生とはあんまり信頼関係築けなくて、この人には何を言ってもしょうがないな、と諦めてもいました。
大人になってみて思えば、何ともくだらないというか、しょうもない理由ですね。
とは言え、今でも嫌なものは嫌で、誰かに合わせて流されるだけの生活にはどうにも馴染めません。
私は私なりに当時は考えて生活していました。
学校に行きたくなかったけれど、高校受験の為には出席日数がいる。
出席日数と成績さえよければ人間性関係なしに良い高校へ行けるのだから、歪んでいるようにも思えます。
これについてはあえて深く言及はしませんが。とにかく、私は我慢して中学校に通っていました。
脂肪高校に受かれば救われると、何の根拠もなく信じていたのです。
結局学校そのものがダメだった
今でこそ大学に通っていますが、当時は「学校」という箱物事態に嫌悪感がありました。
もちろん学校に役割があることも重々承知しています。
例えば協調性などを培うというのも学校生活の要の一つと言っていいでしょう。
では、そんな学校を途中中退した私は協調性が無いのか。
はっきり言ってしまえば乏しいでしょうね。もともと団体よりかは個人で行動することを好みましたし。
だからと言って常に一人でとはいきません。
大学だってグループ課題なるものが存在しているのですから。
これは高校時代の担任の先生に言われたことですが、私はどうにも同世代の子と比べて深く物事を考える傾向にあるようです。
そのため、他の人は気にしないようなところに気付いて悶々としてしまったり、こだわりを持ってしまったり。端的に言えば早熟した子供だったようです。
それについては納得しています。
私は特に小学生時代から大人の顔色ばかりを気にして生活してきました。
どうすれば不快に思われないか、どうすれば気に入ってもらえるのか。
そんなことを無意識下で必死に考えていたように思えます。
このような経験から、早熟していると先生には見えたのでしょう。
まあ、何はともあれ高校の場合は「学校で何かがあった」というよりも「自分の中で何かが崩れた」から行けなくなってしまったのです。
学校そのものに対して「もう無理」という考えを持ってしまったから、今まで我慢してきたものや、「勝手に」高校に対する期待が裏切られたような気分になってしまったのだと思います。
結果、私は学校を中退して同期の子が歩む道からは外れました。
それが良かったのか、悪かったのかの答えは未だ出ません。というか答えを出しようもないんです
未だに後悔していることもあれば、あれが正解だったと納得している自分もいるのだから。
むしろ答えなんて出す方が無粋なのかもしれませんね。
そう簡単に自分の行動の結果を見つめられたら、ここまで苦労する必要だってない筈だから。