不登校になって気にすることと言えば、学力的なことでは無いでしょうか?
勉強はできても損にはならないし、むしろ役立つ場面が以外にも多いのです。
私は義務教育時代、本当に勉強というものが嫌いで。
いえ、勉強そのものというよりは、勉強をさせられる状況というものが本当に嫌だったのです。
何当り前のことを言っているんだと思いますよね。
今にして思えば私も随分と屁理屈ばかりの子供だったなあと思うのですが、でも振り返ってみると勉強そのものに対する忌避感より、「しなくてはならない」という考え方の方にまいってしまっていたのです。
つまり勉強すること、知識を得ることの重要性を何もわからなかったのですね。
だから何で勉強が必要なのか、例えば音楽とか美術とかは特にそうで、やらなければいけない理由が受験の為程度にしか思いつかなかったのです。
受験の為に勉強して志望校に受かるのが中学生や高校生の当然の思考でしょう?
私自身も例にもれずにそうだったのです。
でも、そんな理由で勉強に対する意欲っていうのは維持できないもので、すぐに嫌になってしまうんですね。
それじゃあ、やる気も根気も無くて仕方が無いんです。
だって人間は元々自分にとって楽しいことを優先的にやりたいって思ってしまう生き物なので。
だから嫌いな勉強はダメだと思っていても脇に避けてしまいがちになってしまいます。
やる気になった理由
不登校になった当初は部屋に籠りっきりで、何もしていませんでした。
することと言えば、ネットサーフィン位で本も読みませんでしたし、教科書なんて適当にしまい込んでいましたね。
ただ、精神的に安定してきたころには自分の興味のあるものについては積極的に調べるようにはなっていました。
私が勉強することになったのは高校認定試験の資格が必要になったからです。
必要に迫られて、というやつですね。
ですが、その頃には不思議と嫌々やっているという感覚は全くなくて、むしろ久しぶりの勉強に楽しんでいる節もありました。
正直、今でも不思議なのですが、恐らく自分が決めた目標に勉強が必要になったから自主的にできたのではないかと思います。
つまり強制的に行っている状態ではありませんでした。
全て自分で決めて始めたことで、両親や先生といった人の働きかけもない自主的な行動でした。
だからこそ継続して行うことができ、試験も無事通過したのだと思います。
因みに私が受けた教科は英語以外の必須教科全てで、勉強を開始してから約半年で合格したのです。
それは今でも若干の自慢ですね。
人間やる気になればここまでできるのかと、自分でも驚いています。
大事なのは継続すること
上記で書いたようにきっかけというものは本当に大切です。
それがあったことで私は動き出すことができましたから。
ですが、何が大変なのかというと始めることもそうなのですが、継続することが何よりもしんどいことだと思っています。
継続する為の活力をどのようにして自身の中で生産するのか考えることは必要な事でしょう。
例えばそれは夢だったり、明確な目的が根気を保たせる役に立つかもしれません。
しかし、それだけではどうしても足りないのです。
いっぱい頑張る人の最大の強敵って「燃え尽き症候群」だと思っています。
明確な夢や目的は自分の足を動かす原動力にはなりますが、それが達成された時に果たして自分はどうするのかをある程度は想像していなければなりません。
そうしないと、急に目の前が開けすぎて、まるで迷子にでもなったような心地になってしまいます。
恐らく私にとっての高校受験がそれでした。
早く中学から逃げたい一心で勉強に打ち込み志望校へ入ったものの、その後どうして良いのか分からなくなってしまったんですね。
一度勉強というものから離れたからこそ、その重要性に気付き、自主的に学習することができたのではないかと思っています。
高認というきっかけと、それを必ず半年で取得するという意欲が私を突き動かした原動力になったのだと思います。